2020.11.5.木
夫婦の休みがそろったので、滋賀県の佐川美術館へ。
平山郁夫さんの作品を初めてじっくりと見た。


水彩画の描き方、

繊細だけれど芯のある線に、淡い色を重ねて影をつくる
線から絵具がはみ出しているところがすごく好きで

歌うように色をまとわせているような


とても丁寧に影を描く方だなあ、
そうか、
太陽の位置を大事にされているのか

「古代ローマ遺跡エフェソス・トルコ」
時空を超えて描かれる、遺跡とアレクサンドロス大王の行列。

絵は自由、こころに絡まるなにかがほどけるような感覚

そして
「長安の残輝」
夕陽に映える都、夕陽をあつめて光る煙突や木々
一日を終える街にやってくる夜の匂い
「唐」や「長安」
これまで教科書などで文字でしか認識していなかったものが
実体を持って迫ってきて、私はすこしうろたえてしまった。
そうか、実際にあった街、人が暮し営んでいた街だ。

小説を読んでいるような、
音が聞こえてくるような
みていると、会話をしているようで、
頭の中につぎつぎと思索の芽がひらいていくような
そんな絵でした。

尾道や山梨にある美術館にも行って、もっとみていたい。

2020.10.29.木
外の空気がすっかり秋の味になった。吸うたびにうれしい。
相変わらず、もろもろをうまくもできず失敗ばかりだけれど、生きてます。
園芸は楽しい。プミラとヒヤシンスの球根が新しくやってきた。プミラをもしゃもしゃに育てたい。
少し気が早いけれど、来年のカレンダーを買った。花森安治さんのカレンダー。
野村陽子さんのすみれの植物細密画も、並べて壁にかけた。
そのすぐ前の棚には、いま読んでいる本や買ったばかりの本を並べていて、
その棚の前には、ギターが置いてある。
自分の好きなものを、自分のお金で買って、並べる。
当たり前のことだけれど、すごいことだと思う。
部屋にあるほとんど全部のものは、自分で買ったのだ。
それは、自信になる。

2020.10.16.金

バスの座席に座って、窓の外を眺める。
弟のやっている定食屋の前を通ったところで、お店から3人のお客さんが出てきた。
女性ふたりに男性ひとり、近くの会社の人だろうか、スーツの上は着ておらず、白いシャツに首からはIDカードを下げていて、
手には今買ったばかりのテイクアウトのお弁当を下げている。
楽しそうに会話をしながら歩いていく3人とバスの窓越しにすれ違った。

弟の作ったお弁当は、こんなふうに買われていくんだな。
3人のお客さんの「今日のお昼はクウカイ(定食屋の名前)のお弁当にしない?」「いいですね」「いっしょに買いに行きましょうか」
なんて会話を想像する。
3人のお客さんの日常、お弁当をつくる弟の日常、それは私の日常がそうであるように、一言では言い表せないひとりひとりの時間がある。
積み重ねていく感情や、経験がある。

 

当たり前のことなのに、この当たり前を忘れてしまって、自分本位で考えてしまうこと、人の生き方をひとことでまとめてしまおうとすること。評価すること。
こんなに乱暴なことはないな、と思った。
インターネットやSNS、スマホの普及で私は、たくさんの「事例」を知ることはできる。
でも、だからといって、すべての人をなんらかの「事例」にあてはめるのは、ちがう。
そんなことを思いました。

3人のお客さん、いい顔してたなあ。

2020.10.15.木

じょうろを買うだけのつもりが、シクラメンの苗も買ってしまった。
シクラメンが好きなのは、花の姿形もあるけれど、いちばんの理由は幼い頃の記憶にある。
伊那の祖父母の家でよく、スーパーの広告チラシの裏に絵を描いていた。
居間のテーブルの上にシクラメンがあって、それを描いたときにすごく褒めてもらった。
祖母も父も褒めてくれた。
時間が経っても、「あの絵はすごくよかった」と褒めてくれたので、なんだか
シクラメンとは仲間意識が強い。

2020.10.11.日

じょうろを買ったので、朝の水やりが楽しい。
ふと、「じょうろ」って何語だ、と思った。ポルトガル語でした。
ふと、植物を趣味で育てる「園芸」っていつごろから始まったんだ?と思った。
こんなことをしているから、眠るのが遅くなる。

今読んでいる本が面白くて、本のてっぺんから付箋がにょきにょき伸びている。
こういう本は、
早く読みたい、読み終わりたくない、集中するのが面倒くさい、いろいろ考えてしまうからやっかい、ふぁあ面倒だなあ、ああでもページをめくれば落ちていく。
こういう本は、私にとって、一生ものになることが多い。

2020.10.10.土
10月に入って、家に本屋の仕事を持ち帰る頻度が減ったので、いろいろできている。
ギターを弾いたり、歌を歌えだした。
好きに絵も描いている。
ホットケーキミックスで、バナナのパウンドケーキを作ったり(!)、文章も読めている。

「暮しの手帖」の最新号に掲載されている、皆川明さんの「旅は種。」という話を読んで、長年私の中をさまよっていたフワフワしたものがひとつ着地した。
「知らない場所にいるのに不安がないっていうことに違和感がある。」
この「不安」によって、自分の気持ちを観察する時間ができたり、普段なら気にも留めないことが印象に残ったり、とっても小さな出来事を虫眼鏡で見るような感覚になれる。
「そのためにはやっぱり一人旅がいいし、知らないところへ行くのがいい」

そうか、「不安」が心地良かったんだ。ときどき一人でふらっと出掛けたくなるのは、この「不安」な状況を楽しみたいからなのかもしれない。
不安から生まれるなんとも格好のつかない自分、中途半端な後悔や、意味不明な行動、その中で手にした小さな達成感、思い至る新しい価値観。
そういうものに、とても助けられて生きているのかもしれない。

「不安がないっていう違和感」

そのことにきちんと居場所をつくって、一緒にくらしていこう。

2020.10.9.金
台風14号からの風が、我が家のベランダの花を揺らしている。
台風14号は、「Chan-hon チャンホン」という名前で、台風に付けられる140個の名前のうち、76番目。ラオスの木の名前だそうだ。
どんな木だろうと思って、YAHOOで検索してみたけれど、台風14号の天気図の画像しか出てこない。

 

新型コロナウィルス感染症が暮しに入り込んできたことで、世界や日本や会社や音楽は、たくさんの大きな変化を余儀なくされているけれど、
私の小さな暮しにも、小さな変化がぽこぽこぽこと生まれている。

そしてそのいくつかは、不快ではない。


たとえば、

小さなタオルを必ずポケットに入れておくようになった。
ジェットタオルと違い、タオルは水滴を隅々まで拭き取れるので、手が荒れにくくなった。
そういえば、いつかの「暮しの手帖」で花森安治さんが、そんな話をしていたことを思い出した。

 

たとえば、
10年ぶりくらいに髪を伸ばせている。
ショートカットの気軽さに、もう二度と髪は伸ばさないだろうなと思っていたのだけれど。
髪を乾かすのに、2倍くらいの時間がかかっているけれど。

不思議と、いやじゃない。
そしてまたいつか、バッサリ切るんだろうなあと、予感もしていて。
それもまた、いやじゃない。

そんなことを、たんたんと思っている。

2020.10.8.木

5月に引っ越してきた住まいのベランダは、陽当たりが良い。今夏の猛暑の中、洗濯物を干せば、2時間程度で乾いてしまった。
その陽当たりの良さが、私の中の眠っていた「欲」を起こしてしまった。「植物を育てたい欲」、だ。
育てては枯らし、育てては枯らし。プランターの中の命なのでもちろん寿命もあるだろうけれど、私の園芸はいつも罪悪感と背中合わせになる。
苗を買うときも、心のどこかで、「私に選ばれて、かわいそうかもしれない。ごめんね」と思っている。
それでも、どうしても、切り花では気持ちが落ち着かない。土を触りたい。土に触りたい。土で汚れたい。という欲が抑えられない。

 

「ベランダで育てるなら、ある程度の高さに置いてあげて、風が通るようにしてくださいね」と園芸店のかたの助言。

なるほど、「風」。
今まで枯らしてしまっていた原因は、風が通ってなかったからかもしれない。植物も人も同じ。風通しは大事。

ベランダの手すりに引っかかるプランターをふたつ購入。プランターひとつに苗ふたつ。
花の名前は思うように覚えられないけれど、空色と、白と、黄色と、紫色のを植え替える。土を足す。水をやる。

朝起きて、まずベランダに出る。

風に揺れる花を、葉を見る。

土に触って、水をやるか考える。花びらに触れてみたり、匂いをかいでみる。

 

疲れてしまったときは、風にゆれる花をずっと見ている。

ジョウロが欲しいな。

今は、無印良品のピッチャーで水をやっていて、それだと、どぼどぼ一箇所にどぼどぼ流れる。
だから、満遍なく水をやれる、ジョウロが欲しい。