磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」

 大学1年生のときに友達に借りた「燃えよ剣」が、はじめて読んだ司馬作品だった。

そこから、「竜馬がゆく」「世に棲む日日」「峠」など少しずつ読み進め、幕末という時代の面白さに夢中になった。(きっと、両親も心配するくらいに。笑)

 ただ、「関ヶ原」「国盗り物語」や「翔ぶが如く」「坂の上の雲」、つまり戦国や明治の時代にはあまり興味が持てず、いまだにほとんど読んでいない。「この国のかたち」も二度ほど挑戦したが、途中で投げ出した。

 

それが、今、読めそうな気がしている。というか、読みたいと思っている。

 

司馬さんは、昭和の戦争で陸軍に配属され、戦車に乗り戦っていました。

その戦車は「走る棺桶」と称されるくらいに、明治時代からモデルチェンジされていない代物でした。

その頃には、相手国はもうジェット機とか核兵器とか、ものすごい武器を開発していた。

 

 

「なぜこれほど人が死に、自分も死にかけるほどの体験をしなければならなかったのか

日本は、どうしてこんな国になったんだ」

 

それが、戦争を生き抜いた司馬さんが書く作品の根本にあるものだと、著者はいいます。

 

司馬さんの言葉を借りると、「鬼胎の時代」といわれる昭和の前期にいたる道筋。

 

斎藤道山や信長、秀吉、家康の戦国時代から、江戸時代へ

江戸から幕末、そして明治へ

明治から昭和へ

 

司馬さんは昭和の終わりに亡くなってしまうのだけれど、

歴史はもちろん続いています。

 

司馬さんのような「戦争を体験した」世代が亡くなり、戦争の恐ろしさを知る人が国の中枢にいなくなる現代は、

明治から昭和前期への「明治維新を体験した」世代が亡くなり、軍を調整していた人が国の中枢にいなくなった過程にすごく似ていると感じました。

その後、軍は暴走し、敗戦まで突っ走ります。

 

 

ただ、当時はメディアも国民も軍と同じ方向を向いていました。

日清、日露戦争に勝ったものだから、気持ちが大きくなりすぎていた。

でも今は違います。国の中枢に向けて「おかしくないか?」といえるメディアがまだ存在する。

インターネットやSNSのおかげで、個人個人の意見が共有され、また海外からの視点も共有される。

 

個人が考えるための材料も、考えを述べる場もまだ残っている。(メディア統制ほんとに怖いです。。)

 

そんなふうに考えないと危ない時代に、私は生きているのかもしれないと思いました。

 

 

あとね、日本に、きっと私の奥の奥にも少しは植えつけられている「東アジアへの蔑視」の感情。

これの源は、秀吉の朝鮮出兵らしいのです。

 

「サルかよ!!」と思いました。笑  (いや、秀吉はもちろん、凄い人なんだけれど)

そこから、江戸時代、日清日露戦争勝利などを経て、少しずつ少しずつ育ってしまった国民的感情。

 

なんて、、、くだらない!笑

 

 

 

そんなね、ことをね、たくさん教えてもらいました。

もやもやがたくさんすっきりした本です。

 

 

司馬さんの遺言と言われる「二十一世紀に生きる君たちへ」

そこでは

「他者へのいたわり」と「自己の確立」を大事にしなさい、と書かれているそうです。

 

聞き慣れてしまい、ありふれた言葉だけれど、司馬遼太郎さんの言葉だと思うと、ストンと体に入ってくる。

 

うーん、、、

書ききれないですね。笑

 

 

 

最後に、

著者の磯田道史さんは、15歳から古文書(第一資料!)を読み始めたいわば、歴史のエキスパートです。

面白い人ですよね。

第一資料を多く読んでいると、歴史、時代小説を読んでいて、「ああ、ここ違うのに」と史実との差に気づいてしまい、小説に感情移入することがむずかしくなるらしいです。

その、磯田さんが尊敬の念を込めて描く司馬遼太郎の世界。

おすすめです。