
私も、私の家族も、誰かにとっての「悪人」である可能性。
善人、悪人と分けられるほど人間は単純ではないし、たくさんの顔を持っている。
たくさんの立場が登場する中で、私は「加害者の祖父母」と「被害者の父親」に多く感情を移入していた。
私は、自分の家族のことをどれほど知っているだろう。
もし、自分の家族が人を殺めたとしたら、私は何を思い、何を悔やみ、何を感じるだろう。
もし、自分の家族の知らぬ一面が、思わぬ形で知らされた時、私は何を思い、何を悔やみ、何を感じるだろう。
いろんなことを考える。
誠実に生きていたって、巻き込まれてしまうこともある。
誠実に育てたって、育てたつもりだった、ってこともある。
人が人と生きて行く世界、「社会」に生きる代償。
努力して、あとは、祈るしかない。
良い風が吹きますように。悪い風に巻き込まれませんように。
ひとつの記憶が蘇った。
昔、父に聞いたことがある。
「子どもを持つってどんな感じ?」
「そりゃ、怖いよ。だってその子が殺人犯になる可能性だってあるんだから。
でも、子どもたちがいてくれて良かった。いなかったら、自分がどうなってたか分からん」
みんなが誰かにとっての悪人で、みんなが誰かにとっての大切な人になりうる。
被害者の父親の言葉が胸を打つ。
「あんた、大切な人はおるね?」
「その人の幸せな様子を思うだけで、自分までうれしくなってくるような人たい」
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うもんがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ、本当はそれじゃ駄目とよ」
私の「大切な人」の顔がひとつふたつと思い出される。
胸をなでおろした。
誰が読んでも、きっと登場人物の誰かに自分を重ねる。
吉田修一はすごい。
実は、「怒り」もすでに読了しています。こちらはまた次回。
発行元:朝日新聞出版
ISBN:978-4-02-264523-4 /978-4-02-264524-1